展示構成EXHIBITION
第1章
統一前夜の秦~西戎から中華へ
紀元前770年、周王朝は洛陽に遷都し、次第にその権威は失われました。すると各地で、有力な諸侯―斉、楚、魏、燕、韓、趙、秦―の七国が独立し、しのぎを削る時代に入ります。約550年続いたこの群雄割拠の世が、後に言う春秋戦国時代です。
本章では、東方の六国から野蛮な国とみなされていた西方の小国・秦が、中華統一を成し遂げるに至った、その道筋を辿ります。

《騎馬俑》戦国秦 咸陽市文物考古研究所 *一級文物
咸陽市周辺の塔児坡村の、とある戦国時代の秦墓から発掘された騎馬俑です。秦王朝における兵馬俑の、最古の作例の1つとみなされています。始皇帝の兵馬俑と比較すると、非常に小さく、また写実性に欠けた姿です。この騎馬俑が、どうしてあれほど大きく、リアルな姿になったのでしょうか。

《玉人》戦国秦 宝鶏市陳倉区博物館
玉「人」の名の通り、人の形を象った玉器です。男女双方の姿のものが見られ、(左)「男玉人」の突起は、兵馬俑の兵士にも見られる結い上げた髷に似ています。一方で(右)「女玉人」は、頭の部分が丸く表現されているのが特徴です。これらの玉人は、個人の墓葬ではなく、天を祭祀する場所に埋められたと考えられます。

《鹿紋瓦当》戦国秦 宝鶏市鳳翔区博物館
軒瓦の正面の丸い部分のことを「瓦当」と言い、その起源は西周時代にまで遡ります。戦国秦には素朴な動物紋様の瓦当が多く、本品も、走りながら振り返る雄鹿の姿を描いたものです。秦の人々にとって、鹿は狩猟の対象であると同時に、愛着を感じる身近な存在だったと考えられています。

《蟠螭紋青銅壺》春秋秦 隴県博物館
蟠螭紋(龍が絡み合う紋様)が施された、青銅の方壺です。器そのものが傾いているだけでなく、まるで手が生えるかのように、鳥形の「耳」がニョキリと飛び出しています。出土地の隴県邊家莊村では、春秋時代の秦の墓地が発見されており、この壺も墓の副葬品であったと考えられています。
第2章
統一王朝の誕生~始皇帝の時代
紀元前221年、秦の嬴政は遂に東方の六国すべてに打ち勝ち、史上初めて中国大陸を統一します。嬴政は、それまでの最高の地位であった「王」を超える称号として、新たに「皇帝」を名乗ります。”始皇帝”の誕生です。
わずか十数年のうちに秦王朝は滅亡しましたが、始皇帝の墓に眠る等身大の兵馬俑や、万里の長城といった遺物は、今なお我々の興味を惹いてやみません。本章では、これらの空前絶後の奇観を作り上げた、始皇帝という絶大な権力者とその時代を紐解きます。

《戦服将軍俑》統一秦 秦始皇帝陵博物院 *一級文物
戦車に乗り、歩兵や騎兵の小部隊を統率した高位の武官の俑を「将軍俑」と言います。約8000体の埋蔵が推定されている秦始皇帝陵の兵馬俑群の中でも、将軍俑は現在まで11体しか確認されていません。本品も、日本初公開となる貴重な1体です。

《戦車馬》統一秦 秦始皇帝陵博物院 *一級文物
長さ188cm、高さ165cmに及ぶ馬の俑であり、その表情はいきいきとしています。頭部、頸部、腹部、臀部と別々のパーツを接合することで、これだけ大きな等身大の馬の俑が完成します。もともと秦は、黄土高原の一帯で、周王朝のために馬を繁殖させていたことから土地を与えられました。秦王朝と、馬は切り離せない関係にあるのです。

《青銅戟》秦 秦始皇帝陵博物院 *一級文物
「戟」とは、戈という武器に矛を付けた武器のことです。本品には、「三年相邦呂不韋造」との文字が刻まれています。”呂不韋”とは、当時絶大な権勢を振るった政治家で、彼がこの武器の製造責任者であったことが分かります。

《里耶秦簡》統一秦 里耶秦簡博物館
統一秦時代の南方との戦争の前線にあった里耶城跡(現在の湖南省)から、2002年に偶然発見された当時の行政文書です。古井戸に廃棄されており、奇跡的に判読可能な状態で保存されていました。統一秦時代の行政について伺い知ることができる、数少ない文字史料です。
第3章
漢王朝の繁栄~劉邦から武帝まで
紀元前202年、漢の劉邦が西楚の項羽を破り、再び中華を統一しました。秦の旧都・咸陽の廃墟の上に長安城を立てた漢は、行政においても秦の制度を引き継ぐことで、古代中国における一つの黄金時代を築きました。
西暦8年には、王莽が政権を奪って新を樹立しますが、25年には漢王朝の皇族・劉秀が光武帝となり、漢王朝を再興しました(後漢)。本章では、220年に後漢が滅亡するまでの、およそ400年続いた壮大な漢王朝の繁栄の秘密を明らかにします。

《彩色歩兵俑》前漢 咸陽博物院
漢王国を打ち立てた皇帝・劉邦の家臣の墓の近くから出土した、約1900体の兵馬俑のうちの1点です。高さ50cmの歩兵俑は、始皇帝陵の等身大の武士俑に比べると明らかにミニチュアサイズですが、その発想はどこから来たのでしょうか。

《彩色一角双耳獣》漢 永寿県博物館
角を前方に向け、耳と尾を逆立て、口を開いて相手を威嚇する一角獣の姿の俑です。漢代の『異物志』という書物に、一角で善悪を区別する獬という獣の伝説が伝わっており、その由来から一角獣の俑は墓守の役目として埋葬されたと考えられています。

《鎏金青銅馬》前漢 茂陵博物館 *一級文物
前漢の武帝が、姉である陽信長公主に授けたとされる、金メッキの馬の象です。そのモデルは、「一日千里を走る」と謳われた西の大宛の名馬”汗血馬”で、武帝が未だ見ぬその馬への憧れを託して作らせたと考えられています。後に武帝は、大宛へ使者を送り、本物の汗血馬を獲得しました。

《「王精」龜鈕金印》漢 西安博物院 *一級文物
四本の足で立ち、勢いよく頭を持ち上げる亀の形の鈕(つまみ)が特徴的な金印で、「王精」と彫られています。一説には、前漢を滅ぼした王莽の時代の「王(=皇太子)の精」という人物の印章と言われていますが、一方で「王精」という姓名の人物のものであった可能性も残されています。